コール1回分の時間、2回分の時間。
何が起きているのかまったくわかっていないが心配そうな様子の日向は、金髪坊主頭に手のひらを置いて神妙な顔をしている。
おそらく5回ほど呼び出しただろう頃に芽衣子は大声をあげた。
「いずみちゃん?ちょっと、どこにいるのよ!え、きこえない。どこ?実家?」
志保はあああとうわずった息を吐きながら心臓のあたりをさする。
日向が「おし!」と小さく気合を入れて拳を出す。一瞬きょとんとした志保は、慌てて同じように拳を作り、日向の拳にごつんと当てた。そうしながらも耳は芽衣子の声に集中していた。
「なんで実家にいるの?悠太と由香も一緒なんだよね?さっきオイちゃんから電話があって、いずみ達のことを探してたの。私だけじゃないわよ、志保のところにも電話があった。たぶん他にもいろいろ連絡しているはずよ。だろうねって、何のんきなこと言ってるの。どうして教えちゃだめなの?なによそれ、制裁とか天罰とか......」
芽衣子はしばらく話し、後半はずいぶん落ち着いたトーンになり電話を切った。そして志保達が口を開くよりも早く、今聞いたばかりのニュースを反芻するかのように語りだした。
「オイちゃんに何も言わず、子供を連れて実家に帰ったらしいわ。他にも友達やら知り合いやら、いろんな人から確認の電話が来ていて"こんなにたくさん電話もらうのは久しぶり、なんだか人気者になった気分だわ"なんてへらへら笑ってるのよ。オイちゃんからの着信は携帯も家電も無視してるって。ちょっと言葉を濁してたけど、どうもオイちゃんとかなり激しく喧嘩したみたい。浮気男には制裁を加えるとか、天罰だとか、物騒なことを言ってた。さも面白そうに。しかも、実家にいることを絶対に教えるな、教えなくてもどうせ他に行くところがないことくらいわかってるはずだ、だって」
「それって、探されたいし見つけられたいってことだよね?」
「そんなこと知らないよ。私はいずみちゃんじゃないんだから、いずみちゃんの考えてることなんてわからない」
「オイちゃん、ほんとに浮気したのかな。しそうにないけどな」
「あんたね、そんなこと言ってるから元彼の結婚式なんかに呼ばれちゃうのよ。他の女の子と婚約中なのにあんたを誘ってたんでしょ。男はみんなそんなもんなんだから。そういうことができちゃうの!」
いつになく刺のある言い方に志保は圧倒され、二の句が継げなかった。幸いなことに、店内の音楽のおかげで、テーブル席に座っている入籍したてで湯気のあがっていそうな二人には聞こえなかったらしく、いつの間にかカウンターの外に出ていた日向と無邪気に笑いあっている。
「こっちは大変なことになってるのにさ、幸せそうに笑えちゃってる人もいるんだね」
と小さくつぶやいた。
未来を見通す超能力者でもない限り、自分の人生にこの先にどういう事態が待ち受けているのかなんてわからない。誰もが今より幸福になりたいと願い、そうなれるように物事を選択しているはずなのに、トラブルは新手のダイエット方法のごとく手を替え品を替え次々と現れるし、不運はゲリラ豪雨のように突然襲ってくる。
自分の選択が正しかったのか間違っていたのかなんて、結果が出るまでわからない。桶屋が儲かったのが風のせいだとわかるのは、いつだって儲かってからだ。選んでいるその時点ではその先にどう転ぶかわからないのであれば......。
今思いついたこと行動に移すべきじゃん?
無謀とも、ある意味勇気があるとも言える志保の行動力の源は、この単純な思考にある。
「ねえメイ先輩。いずみちゃんの実家って群馬かどこかだったよね」
「桐生だけど」
「正確な住所、知ってる?」
「......なんで?まさか行こうなんて言い出さないわよね」
「言いだすよ。いずみちゃんの顔、見たくない?いずみちゃん達がほんとに無事かどうか確かめたくない?あたしもメイ先輩も、明日は仕事が休みじゃん。だから今から行かない?」
それを聞いた芽衣子が酒をのどに詰まらせ、けほけほと咳き込んだ。
「はあ?今からって......もう11時過ぎてんのよ。私達が家に帰るのにも終電間近の時間だっていうのに、桐生までどうやって行くつもり?どこでもドアか何か?」
相変わらず辛辣な芽衣子を無視して携帯で路線検索をしてみた。どこかの駅で始発を待つような検索結果しか出てこなかった。
「でもだってメイ先輩は心配じゃないの?実家にいるのが嘘で、本当はどっか変な場所にいたらどうする?」
「変な場所ってどこよ」
「たとえば海の岬のあたりとか、富士山の近くの森とか」
「あるわけないわよ!悠太と由香が一緒なのよ?それにいずみちゃんはしっかりしてる人だし......」
「だから思いつめそうで心配なんじゃん!」
それからしばらく二人はふざけ合っているのか喧嘩をしているのか傍目には判断のつかない言いあいをし、気づけば新婚カップルはいなくなっていた。日向は洗い物やら酒瓶の整理やらをひとしきり終えたらしく、拭き残しは容赦しないとばかりにダスターを片手に歩き回っている。
「あ!」
突然、日向がダスターを持った手を突き出しながら振り返ったので、ふたりは思わず会話を止めた。志保はかみつきそうな顔で日向をにらんだ。
「なによ」
「そんな怖い顔しないでくださいよ。オレが車を出しましょうか、って思ったんす。今日は自分、ノンアルコール状態だから運転できるし。桐生だったら2、3時間で行けるんじゃないかな。今からだったら、そうだな、3時前には着けるかもしれないっす」
志保と芽衣子は目を丸くして顔を見合わせた。志保の数倍は常識的な思考ができる芽衣子が、ぶんぶんと大きく首を横に振る。
「何バカなこと言ってるのよ。お店はまだ営業中でしょう?」
「これはオレの商売人的な勘なんすけど、今日はお盆前で木曜。うちの立地と客層からして、もう誰も来ない確率が高いっすね」
芽衣子は値踏みするような目で日向を見ていたが、しばらくすると降参したかのようにふふと笑った。同じ接客を生業としているふたりは、なにかしら通じ合うものがあったのだろう。蚊帳の外に追いやられた志保は、くやしそうに眉をひきつらせた。
「でもあんた、車なんか持ってないじゃん」
「それが持ってるんだよね」日向はなぜか得意げだ。「なんとタイミング良いことに、今月の初めに知り合いから格安で譲ってもらったばかりなんす。ぼろっぼろの軽ですけどね。そういうことで本日の営業は終了」