「しーちゃんが満足してるなら、私はいいと思うんだけど、やっぱりフクザツなわけよ」
由香をだっこしたいずみが、まだぐずぐず泣いている由香を見つめたまま言う。
「だってほら、由香も私とおんなじで完全に一重でしょう?そのうち大きくなって、整形したいなんて言い出したらどうしよう。反対するかもしれないなあ。しーちゃんのご両親には言ったの?」
志保のテンションが少し落ちたのに気づき、いずみはあわてて言葉を探した。志保は友達として自分と話をしていたのだろうに、いきなり親目線で答えたのは反則だったかもしれない。志保の友達としてのいずみは、手術跡がゆがんだりひきつったりせずに、志保の満足いく結果になればいいと思う。もしまったくの他人なら「よくやるね」のひとことで終わる。
親としての自分は?元教師としての自分は?女として自分は?
いろいろな立ち位置の自分がいて、どこがいちばんちょうどいい位置なのか、ときどき見失ってしまうのだ。
「別にしーちゃんの整形に文句言ってるわけじゃないんだよ。でもなんていうか......」
と、いずみはとりつくろうように加えた。
「親にはまだ言ってないし、言わないよ。今までもアイプチとかやってたから、たぶん気付かないって。うちの会社の人たちもぜーったい気付かない。だってジジイとババアしかいないんだもん」
「でもあさってにはもう会社行くんでしょ?まだ腫れたままなんじゃないの?」
「大丈夫。てきとうにごまかせるよ。中年と老人しかいないんだもん、気づくわけないって」
芽衣子といずみの反応はイマイチだけど、まあいいや。別にふたりのリアクションが欲しくて整形したわけじゃないんだし。
志保はピンク色に腫れたまぶたで、いずみと芽衣子にピースをした。
日曜日、志保は1日じゅう部屋の中でだらだらし、寝る間際に鏡を見てまぶたの腫れ具合をチェックした。ほとんど腫れていない。インターネットの口コミで評判の良い整形外科を選んだ甲斐があったな、と志保は思った。
思いつきで行動することが多い志保だけれど、今回ばかりは違った。プチ整形とはいえ、ケガをしたわけでもないのに体の一部を糸で縫いつけるのだ。失敗はしたくない。それに、子供のころからのコンプレックスを、自分で稼いだお金で拭い去れるのだと思うと、力が入った。安い料金で施術する病院もあったけれど、志保は志保なりに長い時間をかけて調べ、信用できそうな外科を選んだ。もし失敗しても、医者を恨むまいとさえ思った。だって自分で選んだのだから。だから満足している。
鏡に向かい、自分を励ますように何度かうなづく。そして目覚まし時計のアラームをオンにして、志保はベッドにもぐった。
翌日、いつものように出勤した。昔からある工業エリアの中の小さな工場が、志保の職場だった。1階は旋盤などがある工場で、2階と3階は事務所。志保はそこの経理部にいて、もう5年も働いている。志保以外は全員40才を超えていて、女性社員は地味な紺色のベストとタイトスカートを制服として身につけている。地味さマックス。
そもそもこの職場で長く働くつもりはなかったのだ。
志保は高校を卒業すると、親に強制的に押し切られビジネス系の専門学校に入学した。本当はファッションとかエンターテイメントとか、そういう派手でおもしろそうな学校に行きたかったのだけれど、そんな学校に行くなら学費は出さないと親が反対した。両親としては、安定志向の木崎家らしからぬ志保を心配して、せめて堅実な資格を身につけてもらいたいと思ったのだ。志保も志保で、学費を自分で出すほどの情熱もなかったから、おとなしく親のすすめに従った。
親の心配をよそに、志保はまともな就職活動をしなかった。卒業すると近くの駅ビルにあるショップでアルバイトを始めた。最初の店では服を売る店で、次の店ではアクセサリーを売り、次の店では服も靴もアクセサリーも売る店だった。いろいろなものを売りながら2年間楽しく過ごし、そんなある日、伯母から今の職場を紹介された。
「経理のベテランがひとり定年退職するのよ。若い人を入れたいらしいから、志保ちゃんはどうかと思って。志保ちゃん、学校で経理の勉強してたでしょう?こんなご時世に社員として使ってもらえるなんてラッキーな話よ」
確かにラッキーかもしれない。給料はアルバイトよりかなりいいし、少ないけれどボーナスも出る。それに、付き合っている彼がしょっちゅう志保に説教するのだ。
「もっとちゃんとしなよ」
ちゃんとしなよ。志保はなにがしたいの。やりたいことってないの。人生の夢とか目標とかないの。
そう言われると、自分にはなにもないということを痛いほど感じた。志保はしょんぼりしてしまった。だから社員になってみた。なってみると、ほとんど残業のないその会社はとても居心地がよくて、気づけば5年も経ってしまったのだ。その間に、説教好きの彼とは別れた。
この会社の居心地のよさは、なんといっても社員が親ほどの年齢ばかりという点にある。平均年齢をひとりでぐんと引き下げている志保は、若いというだけで特別扱いだった。その代わり、この会社で社内恋愛ということはあり得ない。だから、いろいろな意味でラクなのだ。てきとうににこにこして、てきとうにぼんやりしていればいい。
というわけで、この職場で整形に気付く人がいるはずはない、と志保はのんきに構えていた。中高年の観察眼をあなどっていたのだ。社長の後頭部に現れた寝ぐせで会社の経営危機を察知したり、静岡土産だと言い「こっこ」を配る営業部の男のすまし顔からそろそろ男の離婚は近いと見抜いたりする、恐るべき中高年の観察眼を。