「いずみちゃん、おっつー!悠太と由香、ちゃんといい子にしてたか?」
遅刻魔の志保にしては珍しく、いずみよりもずいぶん早い時間に到着していた。サブウェイのサンドウィッチが入ったビニール袋のほかに、いずみの知らないロゴのある紙袋を3つも肩から下げていた。どうやら待ち合わせ前に買い物をしたようだ。たぶんいずみが見ても、どうやって着たらいいのかわからないような服が入っているに違いない。
「メールもしないでごめん。もしかして時間ぴったりに来てたの?」
「来てたよ。オイちゃんがドタキャンだっていうから、いちおう遅れないで来たんですけど」
いずみが「及川」という苗字をとって和喜のことをオイちゃんと呼んでいたから、志保や芽衣子もそう言うようになった。気軽にそう呼べる雰囲気が和喜にはあり、そこがいいところでもある。
しかしそのオイちゃんが約束通りに一緒に来なかったせいで、志保はいつものようにのんびり遅刻できなかった。その結果として私は、待たせてごめんと志保に謝るはめになる。
ああイライラする。
志保は少しも怒っていない様子だし、いずみとて志保を待たせたことをさほど悪いとは思っていないのだけれど、それでもイライラするのだ。さらに、なにもかもを和喜のせいにしている自分にもいらだつ。
「じゃあ、ずいぶん待たせちゃったね。ごめんね」
「ぜんぜん平気平気。ここでいろいろ観察してたからさ。ほらあたし、観察好きじゃん?ランチは買っといたからね。あとレジャーシートっつーの?敷くのもでかいやつ持ってきた」
「あらあ、ほんとありがと」
「とりあえずオイちゃんいいなくても来れたじゃん。旅、どうよ?」
「旅って......おおげさだなあ。ウチから1時間もかからないんだよ」
志保のまぶたはすっかり腫れもひき、自然な二重になっていた。だからといって自信に満ちた様子でもなく、志保は今までと同じようにつっこまれてヘラヘラしている。この子、意外とたくましいのかもな。電車に乗っている間じゅうびくついていただけに、いずみには志保のたくましさが、いつになく頼りがいのあるものに思えた。
「目、落ち着いたらいい感じになったじゃない。なんていうか......よかったと思うよ」
「だろだろ?実はあの後いろいろ大変だったんだけど、まあ後で話すってことで、早く公園行こうよ」
志保は悠太の頭をぐりぐり撫でるけれど、悠太は逃げるようにいずみの後にまわる。さっきまでぐずっていた由香は、移動している間に泣きやみ、目に涙を溜めたまま背もたれにうずまっていた。
いずみたちは人の多い公園の中を歩き、てきとうな木蔭を探してレジャーシートとサンドウィッチを広げる。空は曇っているけれど、このくらいの方が紫外線が少なくて、子供にもシミの気になる30代にもいいに違いない。
公園を見渡すと、いたるところにいろいろなことをしている人がいた。
あまりパッとしない容姿の若いカップルが、近くの小さいシートの上に座っていちゃついている。
その向こうでは大学生くらいの大人数のグループがビールを飲みながら騒いでいる。
いずみたちのすぐ横を、ラブラドールを連れた外国人男性がふたり、程よい距離で歩いていく。たぶんゲイのカップルだ。
遠くからはボンゴのような太鼓やアルトサックスの音が聞こえてくる。
ジャグリングの練習をしているグループ、手をつないで芝生を踏みしめる小奇麗な老夫婦、眉間にしわを寄せながらひとりで文庫本を読んでいるヒッピーみたいな女の子、目の覚めるような赤いワンピースを着た子供を遊ばせている外国人家族。
いずみは座って由香を抱き、思い切り深呼吸をした。ぬるぬるした空気だけれど、広い芝生の上での深呼吸は気持がいい。外は広く、たくさんの人がそれぞれに生きていて、自分のいらだった日々なんて些細なものに思えてくる。
だからいずみは、ここに来たかったのだ。
志保が手に取ったアボカドとエビのサンドウィッチに悠太が手を伸ばし、しきりに「パンじゃない」と言う。どうやら中身だけ食べたいらしい。
「中身だけかよ。ていうか、これ食べさせても大丈夫?アレルギーとかないの?」
「いいよ。この子、アボカドもエビも大好きだから。でも今いちばん好きなのはハンバーグみたいだけどね」
「そっか。ほら悠太、ハンバーグじゃないけど好きなだけ食え。由香はなんか食べないの?」
「うーん、まだいいよ。離乳食は持ってきてあるし。ほら、これ」
「へー、ビン詰めなんだ。雑炊って書いてあるけど、なんか......見た目リンゴジャムっぽくね?」
「けっこうおいしいんだよ。高いからお出かけの時くらいしか買わないけどね」
「へー、高いんだ。なんかそういう話聞くとさ、あたしって何にも知らねーな、って思うよ。子供がいてもいい年なのに、自分の頭の中がまだ子供だし。ていうか子供どころか結婚してないし。つーか彼氏すらいない?みたいな」
志保は手をぱちんと叩いて、だははと笑った。芽衣子もつられて吹きだす。
確かに志保は、高校生の教え子だった頃とあまり変わっていない。でもいずみは思うのだ。人なんて、そうそう変わるものではないし、変わりたいのに変われなくて苦しくなることの方が多い。特に、自分の嫌いな部分や消したい部分に限って、しつこく体に染みついて、変わろうとする自分の足を引っ張る。自分の変化に気づくのは、たいてい何かを失った時ばかり。たとえば、肌のハリがなくなったとか、体力がなくなったとか、朝まで友達と騒いだりしなくなったとか、そんな時ばかりだ。
「結婚したり子供がいるからって、頭の中が大人になるわけじゃないよ」
「そお?あたしさ、また親に怒られた。27才にもなって何やってるの、先のことを考えなさい、って」
「もしかして整形のことで?」
「そうそう」と志保が答えたところで、悠太が別のサンドウィッチをつかんだ。
「そのまま食べるんかい。悠太にはでかいんじゃないの。今切ってあげるから、ちょっと待って」
と、志保がバッグの中からフルーツナイフを取り出し、器用にサンドウィッチを切り分けた。一口サイズになり食べやすくなったせいか、雄太は中身だけではなく、パンごとつかんでかぶりつく。
ナイフ持参で来る気の利きようにいずみは驚いた。たったそんなことなのに、志保が自分よりずっと大人であるように感じてしまう。なんだか寂しい。なんだろう、この寂しさ。あーだめだ、せっかく公園に、明るく広い外に来たんだから、頭を切り替えて楽しまなくちゃ。いずみは意識して笑顔を作り、言った。
「いろいろ準備してくれて、ありがとうね」