2011年7月アーカイブ

2008年4月。
東京都品川区八潮に、聞こえない子どもたちが手話で学ぶことができる
私立の学校「明晴学園」が開校しました。
開校式会場には、静かな拍手が鳴り響いていました。
「きらきら星」のように手をひらひらさせること、
それが手話の拍手です。

先生を真っ直ぐ見るそのまなざしは真剣そのもの。
明晴学園の子どもたちは情報を目で捉えるため、
いつも話す人に真っ直ぐ視線を向けています。

この手話の学校設立のために、走り続けた人がいます。
本書の著者であり、「明晴学園」理事の玉田さとみさんです。

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彼女の次男が1歳9カ月のとき、重度難聴だと診断されました。
「努力して、聞こえる人に近づこう」という教育を行ってきた
従来のろう教育に疑問を持ち、
「全国ろう児をもつ親の会」を立ち上げました。
思いを同じくする親たちとともに、
誰もが個性を尊重し合い共に生きることができる社会を
つくるために走り続けたのです。

8年もの月日がかかりました。
行政や教育界への働きかけを続け、市民を巻き込み、
集めた寄付は約1億1,000万円。

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手話では、人差し指で軽くほおに触れ、
小指を立てると「おかあさん」です。
そっと見ていると2歳になったばかりの次男が、
右手で左手の小指を立てようとしています。

でも、小さい子どもにとって小指を立てる動作は難しいのです。
突然! 左の小指を右手でギュッとつかんでほおに当て走ってきました。
「おかあさん!」
小さな手ではじめて呼んでくれた「おかあさん」です。
あの日から、8年。
あきらめずに続けたことで、みんなが夢見たみんなの学校ができました。

日本初!
手話で学ぶことができる私立の学校「明晴学園」誕生の物語。
希望にあふれた社会を、人を信じることの大切さを感じることができる感動秘話。
マイナスをプラスに変えて、夢を叶えた奇跡の物語
誰もが、夢を叶えるために動きたくなる。
そんな力が湧いてくる一冊です!

内容(「BOOK」データベースより)

 

 

選挙時の政党宣伝カーには手話で演説内容を伝える人が立つようになった。総理大臣や官房長官の会見にも向かって左側に手話で伝える人が必ず立つようになってきた。日本国政府も聴覚に障がいがある人にも配慮し始めたなと感じていた。

5月の連休明けの頃、大好きなTBSラジオで著者の玉田さんが大沢悠里さんのインタビューに答えていたのが気になった、現実はトンデモナイ事が続いている。

Amazonに注文し、本が昨日届いた。

彼女はTBSラジオの情報キャスターとして結婚まで都内近郊をラジオカーで走り回っていた活発なお嬢さん。結婚し二人目の男の子を授かったがその子が重度の聴覚障がいを持っている事を知らされる。

彼女の考える手話に対する考え方(私にとっても正論に聞こえるが)は明治以来の文科省が管轄するろう者教育課程には馴染まなかった。

私も知らなかった、ろう学校で手話を教えていると思っていた。日本式手話は文科省つまり日本国公認のコミュニティー手段ではなく、ろう学校で手話を使うと手を叩かれたり、後ろ手に縛られたりするそうだ。

日本のろう学校では『聴覚口話法』という、口唇の動きや形で判断し、聞こえないのに発音をさせて健常者(聴者)に近づけようとする明治以来の教育法が取り入れられている。

戦前には手話で反政府活動をされては困るので使用禁止になった時期も有ったと言う。

そんな歴史の中でろう者達が長く培っていた日本式手話を教育の現場にも導入して聴者と変わらない教育を受けさせたいという母の熱い気持ちが玉田さんをこの運動に走らせ、NPO法人設立から『学校法人明晴学園』創設に至った。

ろう児のモンスターペアレンツの汚名にも耐え、正論を貫き通した彼女の強さに頭が下がります。

彼女は言います、努力すれば夢は叶うと。

両手を上にあげ、キラキラ星のアクション、これが日本手話の拍手です。とても静かな拍手です。

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私のいつもの早朝ウオーキングコースは家から2キロ南の谷津干潟1周。

およそ一周3.5Kの干潟を30分で歩く、自宅からの往復を含めると70分。近頃は汗をいっぱいにかく。

いつもは素通りしているのだが干潟の公園、広場の一角で一年中、朝の6時半からラジオ体操をやっているグループがいる。

♪新しい朝が来た  希望の朝だ~  6時半きっかりにNHKからあの歌が流れる。

今頃はもう日が高いが冬の11月~2月は日の出前でまだ真っ暗だ。

ラジオ体操と言えば子どもの頃の夏休み、眠い目をこすりながら嫌々近くの神社の境内や広場に連れていかれ、皆が揃って10分足らずの体操をした。一体何の意味があるんだろう、と思うより夏休み40日間の皆勤賞をもらうためのハンコを押してもらうために通っていたと覚えている。

皆勤賞で鉛筆2本、何日か休んだ子には確か鉛筆1本。まだ戦後の貧しい時代だったんですよ。

私の娘の小学生の頃になると夏休みの40日間ではなく、最初と最後の1週間づつとか、夏休みの一部にしか行われなくなった。主催する小学校、子供会、自治会、町会などの監督者が毎日は大変だ、ということらしい。

現代は夏休みだからラジオ体操という習慣はほとんど皆無なのか、近くの公園であのラジオからの体操講師の声は聞こえて来ない。

 

谷津干潟の周囲は旧公団の高層集合住宅、中層団地、個人住宅が立ち並ぶ。

いつから始まったのかは定かではないが、今朝も100人を越える男女がこの広場に集まり、10分弱の体操で体をほぐし、それぞれの朝の日課へと散っていく。

実は参加者のほとんどは60歳以上の高齢者。今日も子供の姿は一人だけ。

私の友人、元テニス仲間も定年退職し朝一のケジメをつけるためにほぼ毎日6時半にここに通ってくる。今日もまた長い彼の一日がここから始まるのだ。

私も今日初めて参加しての感想はそこそこ良い準備体操になるってこと。第一、第二をやっても8分。お年寄りには体中を動かすから良い運動になる。

確か私が小学生の頃開発された第二体操も当時は斬新で革新的な体操だなと思ったが、今ではこれも日常的になってしまった。

ラジカセを運んできてくれる方(ボランティア)の為に電池代の100円カンパが年に何度か行われる。掛かる費用はそれだけ。

何でも集団で行動する、横並び主義の象徴みたいな戦前からの日本の朝の風習、NHKラジオ体操。

個人主義とは対極の日本的風景だがそれはそれで悪いものではないと思う。

もうすぐ夏休み、子供たちが100人以上集まって来るのを期待しよう。

プロフィール

1948年生まれ、水瓶座、O型。
趣味
(読書、映画、テニス、ゴルフ)
ラーメン好きのオッサンです。

カレンダ

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