2010年12月アーカイブ

民主党ネタは書く気にならなくなってしまったが、年末でもあり新年の展望も期待して(まだ期待?)ルール破りの一兵卒にモノ申す。

執行部と次の一手を読みあっているみたいですが、あなたの好きな囲碁の話ではないのです、国民の生活のかかった大事な政治活動の話なんです。

あなたが選んだ昨夏の総選挙のキャッチフレーズ『国民の生活が一番』なんですよ。

政倫審に出る出ない、証人喚問に出る出ない、あなたの判断で決めていいと誰が言いましたか。

世の中には皆で決めたルールがあります。

私の孫の小学生にもそう聞かせています。

そのルールが気に食わないから俺は従わないよと言ったら社会の秩序は守れません。

そんな恥ずかしい事はしてはいけないと孫たちに言い聞かせています。

自らに恥ずべき事が無いのなら何処へでも出て行って堂々と発言すべきです。

確かにあなたはもうすぐ強制起訴される被疑者予備軍です。

だから出ていく必要はないと強弁するなら、押し通して欲しかった。

何故また出席なの?

仙谷のクビを取るのが目的なんですか?

そうやって己の残り少ない政治生命を何のために消費しているのでしょうか。

あなたが被告人になり、数年かけて公判が続けられればもうそんな心配をするまでも無くあなたの政治生命はありません。あなたが尊敬する大先輩のお二人を見れば当然お分かりでしょうが。

 

そんな状況の親分を励ます会が先日開かれたそうだ。

ニュース映像にその励ます会(会場は小沢氏宅)が終わって赤ら顔で出てきた代議士がインタビューされていた。

私の選挙区の黒田雄衆議院議員だった。

オイオイ、良いのか。君はホントに額に小沢印を付けて次回戦うのか。白いスーツを着て。

しかしまあ、この期に及んでまだ小沢信奉者を名乗るのは或る意味立派。男だ。貫け、黒田ゆう。

しかしだまされた選挙民は許さないヨ。

見抜けなかった選挙民が悪いんだよね。

 

しかし、菅サン、もう少しうまくやろうよ。

経験が無いから仕方が無いよと良い訳をもう聞いていられない。

麻生政権のみすぼらしさに段々と近づいて来たよ。

土俵際、とく俵に足がかかってますよ。

衆議院の多数だけが頼りです。腹を据えて行きましょう。

 

大手広告会社OBのH氏からMIXIに新しいメッセージが上がった。

実にすばらしい文章と分析力。

涙腺が緩んだ。

 

http://www.youtube.com/watch?v=_2BwF0x-2uY

 

 

で、今日はクリスマスだけど

君達は何をしてきた?

また一年が終わり

新しい年のスタートだ

そう、今日はクリスマス

君達に楽しんでほしい

身近な人に、愛しい人に、

お年寄りも、若い人も。

楽しいクリスマスと

良い新年をお迎えください

何の不安もない良い年であることを願いましょう

そう、今日はクリスマス

弱い人へ、それと強い人へ

富める者へ、それと貧しい者への。

この世の中は全く間違っている

だから、ハッピーなクリスマスを

黒い人へ、それに白い人へ

黄色い人へ、それに赤い人へ

全ての戦いを止めましょう

楽しいクリスマスと

良い新年をお迎えください

何の不安もない良い年であることを願いましょう

それで、今日はクリスマスだけど

私達は何をしてきた?

また一年が終わり

新しい年のスタートだ

だから、ハッピーなクリスマスを

君達に楽しんでほしい

身近な人に、愛しい人に、

お年寄りも、若い人も。

楽しいクリスマスと

良い新年をお迎えください

何の不安もない良い年であることを願いましょう

戦いは終わった、君たちが望むなら

戦いはもう終わったんだ

ハッピークリスマス!

 和訳は多分海外生活の長かったH氏。

 

年に一度くらいは人類の平和を祈り、今年一年、自分が何が出来たかを反省する機会になると思う。

私の会社は平成元年に芝公園に移転した。

移転前の15年程は日本橋の本町三丁目にある小さな雑居ビルでした。神田駅、新日本橋駅、三越前駅が最寄り駅。サラリーマンの街神田、日本橋はランチ、飲み会には大変便利な街だった。

新入社員の頃に先輩に連れられて三越前の広告会社に打合せに行き、帰りにカレーをごちそうになった。

M先輩は目を輝かせて美味いカレー屋が有るんだよ、日本橋の名物なんだよと言って私を連れて行った。

私の概念(?)にあったカレーとは全く違う食べ物だった。

まずとても辛い、シャバシャバなソース、韓国料理かと思うほどニンニク臭、熱い。

確か暑い夏の日だった。冷房さえ充分でない古い木造の蔦のからまる二階家、ギシギシ音の鳴る階段を昇って2階のテーブルで汗びっしょりで食べたのを憶えている。

オーナーは多分変わった方、メニューはカレーとコーヒーだけ。でもコーヒーを飲んでいる人を見た事は無い。店に入っただけで、オバサンはキッチンに向かって『イッコー』と叫び、1分後には配膳される。勿論二人で行けば『ニコー』。大盛りも無し、食べたければもうイッコー。

女性客の中には半分も食べられずギブアップの人もずいぶん見た。

正月やお盆の休みも当時から大胆に2週間以上お休み。進んでいました。

それからは月に数回、特に二日酔い気味の日のランチで食すれば二日酔いは一発で解決だった。

自分が良しと思えば、カレー好きのお客様もずいぶんご案内した。

会社が芝公園に移転した後も年に数回は機会を見つけてその味を楽しんでいた。

 

2006年、この店が閉店すると聞いて当時を知る社内の仲間と最後の味を楽しみにも行った。

もうこの味が味わえないかと思うと多少センチメンタルな気分になったが、当時のあの味に近いカレー屋に巡り合えるのもまた違った楽しみ、今は新橋の『Nagafuchi』が近い味ではないかとと思う。