早く質問に答えろ。答えろって。
だいぶ酔いのまわってきた志保は前のめりになり、恐ろしい形相で日向に念を送ったけれど、もちろん届くはずもない。金髪坊主頭はのんきに棚からCDを抜き出し、プレーヤーにセットしている。
芽衣子がメニューをめくりながらつぶやいた。
「なんていう怖い顔してるのよ」
「悪かったね。いつもこんな顔だよ」
ドアが開き、カップルと思しき二人組の若い客が入ってきて、日向は注文を取りにカウンターを出た。どちらも日向の友達らしく「おう」とか「元気?」とか気軽な挨拶をしてテーブル席に座った。流行りものだけで固めていないちょっと個性的な着こなしをしていて、三人が会話をしている構図は無理がない。いつも無理やり楽しくて面白い方向へ進もうとしている志保にとっては、自分の持っていない自信をこの三人が持っているような気がして寂しくなった。
しかも日向は志保に使うような敬語ではなくくだけた喋り方で注文を取り、そんな喋り方をする日向に対してまた少し距離を感じてしまう。
「ねえメイ先輩。あいつ本当はどっちだと思う?」押し殺した声で話しかけると芽衣子は訝しげな顔をし、だから慌てて付け加えた。「あ、ゲイでもストレートでも別にいいんだけどね。あたしには関係ないことだし」
芽衣子が謎の解けた探偵のような目をしてニヤリと笑ったが、余計なことを言って墓穴を掘ったことに志保は気付いていなかった。
「ふうん、関係ないんだ。そんなに知りたいなら自分できいてみればいいのに。いつもは空気読めないくらいの図々しさで食いついていくくせに、なんか志保らしくないじゃない。それともつっこんできけない理由でもあるわけ?」
「理由?理由は......ない。それにあたし、いつも知りたがってるわけでもないじゃん。だいたいメイ先輩の話だって、あたし途中でつっこむのを諦めたでしょ。本当はすごく聞きたいんだよ?でも我慢してるんだから」
「それは"どうせメイ先輩は話してくれないしー"って思ってるからでしょ。まあその通りだけどね。でも日向君に確かめられないのは、知るのが怖いからじゃないの。もしゲイだったら志保のことなんか眼中にないってことだもんね。ぜんぜん脈なし」
穏やかな表情をしているが、言葉は明らかに志保を傷つけようとしていた。芽衣子は確かにときどききついことを言う。しかしそれとはまったく違う、なげやりな悪意が潜んでいた。
「どうしてそんな意地悪なこと言うわけ?」
「私はいつだって意地悪じゃないの。志保が知らないだけで、私は今までもずっと意地悪で、あの冷蔵庫より冷たい人間だったじゃない」
芽衣子はカウンターの奥に見えるビールの置かれた冷蔵庫を指さしながらせせら笑った。
その時、テーブルで小さな拍手が起きた。振り返ると、日向が「この二人、オレの友達なんすけど、昨日入籍したらしくて」と屈託なく言う。紹介された二人は志保達に向かって照れながら小さくお辞儀をした。
芽衣子は職場で化粧品を売っている時のようなマニュアル通りの笑顔で「おめでとうございます」と祝い、その笑顔のままで向き直った。
「口ではおめでとうと言ってるけど、心の中では二人とも死んで地獄に落ちろと思ってるくらい、私は意地悪なの。志保の知っている私なんて、本当の私じゃない。本当の私の1パーセントも知らないのよ」
気まずい空気が漂い、志保は口をつぐんだ。何も知らずにカウンターに戻ってきた日向が「何か作ります?」と声をかける。
「メニューを見てもよくわからないから、日向君に任せる。志保はもう飲み過ぎだからジンジャーエールとかを......」
「勝手に決めないでよ。あたしも酒ちょうだい。ジンジャーエールなんか出したらボコってやるからね」
刺々しい雰囲気に気づいた日向は一瞬動かしていた手を止めたが、すぐに「うっす」と普段どおり気の抜けた返事をして仕事に取り掛かかり、少しして突然頭を下げた。
「すんません。入籍の話を聞いてテンションあがっちゃって。あれですよね、芽衣子さんはいろいろ厳しいことがあったのに、他人の結婚話なんて聞いたらますます落ちますよね。申し訳ないっす」
志保と芽衣子の間に不穏な空気が流れていたのは自分のせいだと勘違いしたようだ。気まずくなったのは日向のせいではないのに。
「別にそういうんじゃないから気にしないで」
代わりに芽衣子が答える。志保はふてくされた。
そらした目をふとバッグに向けると、携帯電話のイルミネーションが光っている。
取り出して開く。
「オイちゃん」という名前の着信があった。着信時間は10分ほど前。どうしてオイちゃんから電話なんてかかってくるのだろうと不思議に思いつつも、なぜかそわそわした。
嫌な予感がする。
すかさず発信しながら、新しいグラスをコースターの上に置いた日向を横目にちらりと見て、電話に出るのを待った。
「もしもし?オイちゃん、あたしに電話した?」
━した。いずみ達と一緒にいるのかなと思って......。
「いずみちゃん?」
━いや、一緒じゃないならいいんだ。
そう言うと、和喜は挨拶もせずにいきなり電話を切った。まぎれもなく、いずみの居場所を探している様子だった。こんな夜遅くに志保がいずみと一緒にいるはずがない。おそらく思いつく人に手あたり次第連絡をしているに違いなかった。それに、「いずみ達」と言った。たぶん悠太と由香。三人とも居場所がわからないということだろう。家出?それともまさか......。
少し前にいずみから和喜との不仲を聞かされていた志保は、考えたくもない最悪の事態を考え、酒を飲んで少し酔っていたことさえすっかり忘れてしまった。
「もしかして、メイ先輩の携帯にもオイちゃんからの着信ってない?」
「ある。今、かけてみてる」
芽衣子は既に自分の携帯電話を耳にあてていた。志保のやり取りを聞いて不審に思ったようだ。
和喜は、志保と芽衣子が同じ場所にいることを知らない。むしろその方が、さっきより詳しい事情を聞き出せるかもしれない。芽衣子もそう考えたらしく、志保が隣にいるそぶりを見せずに切り出した。
「すみません、すぐに気づかなくて。どうしたんですか?うん、うん。一緒じゃないですけど、いずみちゃん、どうかした......」
芽衣子が「切られた」と呆然とした表情で膝の上に携帯を置いた。
「......本人に、いずみちゃん本人に電話してみればいいんだ。そうだ、そうだよね」