「いずみママ、やるな。メイ先輩も負けてられないよ?」
「なにがよ」
「そんじゃオレ、そろそろ店の準備あるんで......」
「もうちょっといいじゃん。もうすぐうちのだんなも来るから」
いずみの携帯電話がまた鳴った。
電話から電話へ、目には見えない電波に乗って少し割れた音で和喜の声が聞こる。またしても手を伸ばした悠太と由香をよけるようにして、いずみは会話を死守した。
「パパ、すぐ近くに来てるってよ」
どこー、と言いながら悠太はぱさっと、由香はよろよろと立ち上がった。
「立ったってまだ見えないよ」缶ビールに口をつけるいずみに、なんで、と悠太が食ってかかる。「なんでって、まだ駅に着いたばっかだからだよ。遊んでるうちにね、すぐ来るよ」
「遊んでると来るなら遊ぶよ。なにで?」悠太はさっそく靴をひっかけ始めた。
「遊ぶネタくらい、自分で考えて」
「じゃあボール」悠太は由香が抱えていた、"サッカーボール"と呼んでいる赤いゴムボールを奪った。「ゆったんはずっとボールで遊んだでしょ。ヒナタ、ちょっとこっち、来てね」
ボールを取られた由香は抗議の叫びをあげて泣きだす。いずみとっては、いつもよく目にしている些細なやりとりだ。放っておけば解決する程度の。真っ先に過敏な反応するのは芽衣子だった。
「悠太も由香も、ふたりで一緒にボールで遊べばいいでしょう、一緒に。由香、泣かないの。悠太はごめんしてね」
うまくなだめられた子供達を芝生の上へ連れ出すのは、志保と日向だ。日向はボールを持って前かがみになり、悠太と由香にボールを触れさせながら「うりゃ!」という掛け声とともに真上へボールを投げ上げる。まるで子供達の力がボールを空高く飛ばせたかのように。子供達はうまくだまされる。
それは、誰ひとりとして傷つかない嘘。
由香がきゃーっと叫んで笑い転げながら志保の足元に跳びつき、悠太は落ちてきたボールを拾いあげると「もっと、もーっと!」と両手を空に伸ばして日向に高さをせがむ。
赤いボールは、何度でも飛んでいった。まだ夏を思わせる広い空へ。
上を見ればキリがない。高い空を見上げて、太陽のまぶしさに目を細めてしまう。
赤いボールは重力に屈し、地面へ落ちて跳ねた。
下を見ればキリがない。深い谷底をのぞきこんで、自分の居場所の方がまだ太陽に近いと安心してしまう。
顔を上げた悠太は、何かを見つけたらしく、せっかく取りあげたボールを放りだした。
「パパ!」
走り始めた悠太を追って、由香もやじろべえのような恰好でとことこと走り出し、躓きそうになったところを志保が後から支えた。
放りだされたボールを、日向が代わりに拾う。
和喜を見つけて思わず手を振ったいずみを見て、芽衣子が肩越しに茶化したような顔をした。
再生速度を間違えた映画のように、時間がゆっくりと進む。すべてがスローモーションのように見えたその瞬間、いずみは思った。
なにごとも起きない1日ほど、祝福されたものはない。昨日の続きが今日になり、今日が明日に続いていく日々の、当たり前すぎて通り過ごしてしまうような幸せ。
それは、上にも下にもない。
上も下もだめなら、前へ進めばいいんだ。走り出せばいいんだ。
小さな小さな、あの子達のように。
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あとがき
もしこんな瑣末な物語を続けて読んでくださった人がいるとしたら、本当にありがとうござました。心から感謝します。
あとがきを書くほどの者ではないのですが、こんなチャンスは二度とないかもしれないから、書いています。
途中でたびたびブランクがあったのは、うまく書けずに書き直しばかりしていた時期と、ちょうどいい写真がなかった頃と、どうせこんなの誰も読んでねえからさぼってしまえとやさぐれた時です。
それでもしつこく書き続けたのは、この物語の中で生まれた人々の行く先を最後まで決着させずに中途半端なまま死なせてしまうのが、悔しかったからです。
折に触れ私を奮い立たせてくれた彼らですが、私はどの人にも嫌いな部分があり、好きな部分があります。でも、それを書きたかったし、そういうものだとも思います。
「上でも下でもなく、前を向いて歩け」なんてきれいごとですけれど、きれいごとばかりでは生きていけない現実の中で、きれいごとの通用するのが作り話です。私は厳しい現実にも、きれいごとのフィクションにも惹かれます。いずれ誰もが無に帰す人生の中で、その両極を味わえるのなら、貪欲に味わいたいと思っています。
私には思いつかないような言動を惜しまず観察させてくれた友人・知人、子供エピソードのヒントを与えてくれたSファミリー、いくつかの写真を提供してくれた今は亡き弟、連載の機会を与えてくれた『会社生活の友』の井上晋介さん、どうもありがとうございました。
そして最後になりますが、厳しい冬を乗り越え、この地にうららかな春が来ることを、切に願います。願うだけでなく、おそらくこの地に住む多くの人々が感じていることでしょうが、私も自分のできることを微力でもし続けていこうと思います。