いずみの携帯電話が鳴る。
「パパかな?」その言葉に悠太と由香が反応し、いずみの握った携帯を取ろうとする。「違った。ばばちゃんだ」それでもふたりは携帯に手を伸ばした。
子供達を無造作に追い払って、いずみは、うんうんと相槌をうつ。「ゆーたんもー」とぐにぐに暴れる由香を、芽衣子は羽交い絞めにし、日向はなぜか悠太とじゃんけんをしていて、志保はレジャーシートの引っ越しで距離が近くなった隣の大学生グループと、大声で話していた。
「パーでグーだったの。悠太が勝ったでしょ。勝ったら電話!」
悠太はいずみの携帯電話を奪い取り、いずみは、どんな取り決めしてんのよ、と日向をにらみつつ、悠太に携帯を持たせた。
「今ね、すっごい、すっごいお外なんだよ。たべっこ動物さっきから食べて、もうなくなっちゃうよ。なくなったよ。ばいばい」
ピッとボタンを押したのを見て、大人達が吹き出した。
「そこで切るか」志保が日向をばしばし叩きながら笑った。そして、いかにも笑ったついでのように、隣にいた大学生グループに声をかける。「ちゅーか、こいつ飲み屋やってて、けっこういい店だから行ってみてよ。音源持ってけばかけてくれるし、DJイベントならタダ同然でやってくれるよ」
志保は日向をこづいた。日向はのほほんとした顔でバックパックから名刺を取り出して配る。まるで予行演習を繰り返してきたかのような、自然な流れで。
大学生グループは「ていうか普通に飲みに行っていいすか」とありがたそうに名刺を手に取った。
「どうだ、あたしの営業力!」
「無理無理だよね」といずみが呆れて言うと、由香が「むいむいだおね」と真似したので、大人達はまた笑った。
「で、いずみのママはどうなったの?」
芽衣子は、自分が普通の恋愛とは少し外れた軌道を、思いがけず回ることになったせいで、同じように外れてしまったいずみの母の動向が気になっていた。
「来月の母の誕生日に、入籍するんだって」
芽衣子はほっとし、志保と日向は「まじすか!」と驚き、悠太と由香はオレンジジュースのペットボトルで遊ぶ。
「好きにすればいいよ。どうせ娘の私があれこれ言ったって、結局は好きにするんだろうし」
今度は本当にちゃんとやっていけそう、と携帯電話がかかってきたのは、つつじが咲き始める頃だった。夏に実家に帰った時、"ハシモトさん"という人は、いずみ以上にあの家にしっくりなじんでいた。そこが気に入らなった。
怖かったおばあちゃんさえもを、菓子の袋を開けさせるくらい味方につけて。私にはしらじらしく、なっから美人でぶったまげたとお世辞を吐いて。気に入らない。そんな男とうまくやれるとでも思っているんだろうか。
「だからいいんだいね。お互いにべつだん恰好つける年でもないし、お互いにあんまり期待してないし。気が合って落ち着けば心地いいわけで」
母の答えはシンプルで、言葉どおりに落ち着いていた。いずみが子供だった頃に引き合わされた男達への解説とは、まったく違っていた。
あの頃はしきりに、とても親切な人だから絶対にいずみも気に入るだとか、今よりずっと楽しく暮らしていけるだとか、耳触りのいいことばかり口にしていたのに。もしかしたらあれは、母自身が安心するために、自分自身へ言い聞かせていた言葉だったのかもしれない。
ハシモトさんは家業の酒屋を引退して、同居している息子夫婦には肩身の狭い思いをしているらしい。母と祖母の家に住むことにまったくためらいがないと言う。財産分与が心配なら、母の籍に入ってもいいと宣言したそうだ。
「それはそれで、ハシモトさんの息子達には不評だったよ」
母は、悪びれもせずのんびりと言った。あまりに間延びした口調だったせいで、いずみは文句を言うタイミングを失い、少し横を向いた。
食器棚の上に、黒い扉の電子レンジがあった。
ぴかぴか光る扉に映った自分の顔を見ると、あんがい穏やかな表情をしていた。
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