冷房のせいで体が冷え切ってしまった。
「あたし、帰るから。シャワーとタオル、借りる」
「まじすか」そう答えながらも、日向は立ち上がってボクサパンツを履く。「じゃ、こっちのタオル、使ってください」
タオルは椅子のではなく、カーテンレールにかかっていた洗濯したてのを手渡してくれた。そして、シャンプーはあるけれどコンディショナー類はないと、バスルームについて来て説明をしたあと、「たぶんオレ寝てるんで、帰る時は起してください」と眠たげにドアを閉めた。
生ぬるいシャワーが肩にあたり、体を落ちていった。
あたし、何やってんだろう。初めて来る他人の家で、シャワーなんか浴びちゃって。でも、ちょっと面白いかも。たぶん、面白がるために、あたしは今ここにいるんだろう。
日向のことは好きだけど、日向そのものが欲しいわけじゃない。ような気がする。日向の持っていそうな"面白い"雰囲気が欲しかっただけだ。自分に欠けているパワーにあやかりたかっただけ。友達と話している日向に嫉妬したのは、仲間に入れてもらいたかったから。
「まあ、普通は20才くらいでそういうこと思うのかもしれないけど」志保はタオルにくるまりながらつぶやいた。「あたしバカだから、いつも気付くの遅い」
シャワーを終えて帰宅の準備を整えると、日向の体をゆすって起こした。日向は起き上がって玄関までついてきた。どこまでも気遣いに徹している。
「そんなにあたりかまわず気配りしててさ、疲れないの?」
日向は眠そうに半分目を閉じたまま腕を組み、悔しそうに顔をゆがめた。
「志保さんにそんなこと言われるとは。ていうか怒ってますよね。今日のことはなんていうか、すみません」
「面白かったからぜんぜん。日向のことは好きだけど、そういう意味で好きじゃないし」
「うん。そっか」半笑いでうなずいた日向を目の前にして「こう言うのも卑怯だけどさ、怒ってなくてよかった」
その日はじめて聞いた、敬語ではない回答だった。むしろ志保はすっきりした。ふたりとも、どうやら同じ場所に着地したらしい
「トイレとシャワーとタオルとコーラ、ありがとね」
「コーラ?」
「冷蔵庫開けて勝手に飲んだ」
「まじで? それ泥棒じゃね?」
「今までお絵かき教室で、あたしがこっそり教えてあげたコツにくらべたら、コーラなんて安いもんじゃん。あと今日のことも。車出してもらったにしても、おつりがくるくらい」
日向は顔を両手でごしごしこすり、降参したようにうーんと唸った。
「志保さん意外と大人だね」
そうだよ、どうだ参ったか。と言いかけて、志保は言葉をひっこめた。大人なのではなくて、当たり前の成り行き。ふたりともお互いに恋とは別の形で気に入っていて、肌に触れてみたかったから触れてみた。天秤は一瞬だけバランスを崩したけれど、最後には釣り合って水平になっただけのことだ。
「大人とか、つまんないこと言うなって。面白かったし、なんかこう、新しいイメージ湧いたって感じするでしょ」
「なんの?」
「絵に決まってるじゃん」
志保はにっこり笑ってドアを閉め、振り向かずに駅までの道を歩いた。
時刻は正午になろうとしていた。熱すぎる太陽が、肩に痛かった。胸のあたりに汗がにじむ。さっきまで冷房の効きすぎた部屋にいたのが嘘のようだ。
「温度差やばい。暑い。死にそう」
死にそうとつぶやいたら、むしろ生きていることを実感した。空を見ると、太陽は真上にある。あまりに強くて、近くて、伸ばせばすぐに手が届きそうだった。
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