蝉とチャイルドシート 2

| コメント(0) | トラックバック(0)
P1000308.effected_m.jpg

外では蝉の鳴く声がうるさく響いていた。

いずみの祖母は耳が遠くなり足腰も弱くなったが、母よりもよほど言うことがしっかりしている。母が中学生の頃に祖父は病気で亡くなり、それ以来ひとりで母を育ててきたという境遇は母と同じだったが、気性は母と正反対だ。

車が到着するのを待っていたかのように、祖母は玄関先で反らんばかりに腰を伸ばして仁王立ちになっている。

「お盆よか前に来るなんて、どうしょうもねえやいねえ。おめえ、どうせ喧嘩でもしたんべえ」

祖母はいきなり叱りつけ、よたよたと家の中へ入って行った。懐かしいその声をきいたとたん、いずみはやっと頬が緩み、由香を片手に抱いてもう片方で悠太と手をつないだ。荷物やらベビーカーやらを下ろしている母達は放っておき、ゆっくりと玄関を上がる。昔と変わらない、少し線香臭いような匂いがした。

 

畳敷きの居間に入ると、ビニールクロスの掛った座卓の上に皿に盛ったすいかがある。

「すいかでも食べりい。由香におっぱいくれるんなら仏間でやれ」

うん、と素直にうなずいていずみは仏間の障子を開けた。悠太も妙ちきりんなジャンプをしながらついてきたが、部屋の奥で静かにたたずんでいる仏壇を見つけると、不安げにいずみのシャツの裾をつかむ。自分もそうだったな、といずみは子供時代を思い出した。仏壇が怖くてこの部屋に入るのが嫌いだった。

畳に座って由香におっぱいをふくませ、私はどうしたいんでしょうね、仏壇に向かって胸の中で話しかけてみる。それから由香を座布団の上に寝かせ、悠太と一緒に線香をあげる。

「これなに?」

「お線香。あそこにある写真の人とか、あれは大きいじいちゃんなんだけどね、他にもいろんな人にあげるんだよ」

「なんで?」

「なんでかな」いずみは由香を抱き上げた。「そうね、あの人達は遠くにいて、お線香の煙でご挨拶するほうが遠くからでもよく見えるからかな。こんにちは、とか、元気ですか、とかの挨拶の代わり」

「どこ?」

いつもの質問攻めが出たな、と思いながらもいずみはそれが嫌ではく、むしろ頬ずりしたくなるほど可愛いらしく感じる。なんで、やだ、きらい、の3つが今の悠太のベストワード上位3位だ。うるさいと怒鳴りつけなくなる時もあるし、今のように愛おしく思える時もある。自分のコンディションによって子供への態度も変わってくるなんて、親とはなんて身勝手なんだろう。

 

浮気した和喜も、子供を連れて家を出てきた自分も、離婚をしてからずっとしっかり者の役割を自分に押しつけてきた母も。きっとあのぶっきらぼうなお婆ちゃんだって娘の目には身勝手な親だと映った時期があったに違いない。

母は離婚をした後も、かたくなに実家で祖母と一緒に暮らそうとしなかった。自分にはわからないところで、母は祖母とのわだかまりに葛藤していたようだ。

「仏壇の中の人がいる場所はすごく遠くて、電車に乗っても飛行機に乗っても行けないところだよ」

 

仏間を出ると、台所で母と祖母が悠太の子供用スプーンをどこにしまったんだと引き出しをひっかきまわしていた。今はこの家で一緒に暮らしている母と祖母は、あれこれ文句を言いあいながらもうまく折り合いをつけている。

ふと玄関を見ると、慣れた様子でハシモトさんがあがりこんでくるところだった。

「ところであの人はなんなの?」

食器棚の引き出しから子供用スプーンを見つけ出した母に小声で聞くと、母は忙しそうにスプーンをスポンジで洗い始めた。

「だから友達って言ったがね、もう。お母さん、少し前から絵画教室に通っててさ、ハシモトさんも生徒なわけさ。酒屋を息子夫婦に任せて隠居の身だし、暇なんだんべ」

「暇だからって、どうしてお母さんと遊んでるわけ? まさか不倫とか!」

「んなん、奥さんはだいぶ前に亡くなってしまったんだいね。息子夫婦がちょうどほら、いずみと同じくらいの子供がいてさ、だからあの車にチャイルドシートも2つで。ちょうどよかったよねえ」

 

聞き捨てならない要素がふたつみっつ入っていて、いずみは眉をひくひくつりあげた。どこをどう聞いても母とハシモトさんは、ただの友達ではなくて恋人同士ではないか。それにあの、座卓をふきんで拭くハシモトさんの手なれた様子。どう見てもこの家に頻繁に通っているだろう仕草だ。

祖母はすっとぼけた顔でよたよたと座卓に近づき、よっこらしょと座った。煎餅の入った袋を開けようとふんばっていると、ハシモトさんが笑顔でそれを受け取り代わりに開けた。

和気あいあい、という言葉が似合う風景。まるで平和な家族の日常のようだ。いずみ達だけお客様扱いされているような気分にさせられる。

 

日が落ちる前にハシモトさんは寿司屋に出前の電話をし、いずみが子供達と格闘している間に夕食の準備はできあがっていた。悠太のふりかけのためにご飯も炊いてあった。家を出てきた親子と、恋人同士なのかもしれない年を取った男女と、しかめっ面の老婆。総勢6人の夕げは、やはり平和な家族の日常のように進み、ここでもいずみ達はお客様だ。

 

食卓が片づけられるとまずハシモトさんが家路につくために去り、続いて祖母が眠たげに寝室でもある仏間へ去った。由香は座卓の隣に敷いた布団の上で寝息を立てている。悠太は知らない家に来て興奮しているらしく、おまけにハシモトさんからアンパンマンブロックをもらったものだから、ちっとも寝る気にならないらしい。風呂にも入って一度は寝かしつけたのに、ブロックで遊ぶと言ってきかなかった。

「ねえ、パパは?」

実家へ来てから初めて聞いた、悠太の「パパ」という言葉に、いずみは動揺した。ぼんやりとテレビを眺めていた母が、少しだけ視線をずらしていずみを見た。今まで何も問いかけようとはしなかったけれど、それなりに気にしているに違いない。

「パパはおうちでお留守番してるの」

「なんで?」

「お仕事があるからだよ」

 

 その時、いずみの携帯電話が振動した。和喜からの着信。ディスプレイを眺めたまま、いずみは電話に出なかった。おそらく仕事から帰ってきて、家に誰もいないことに驚いているのだろう。

 いい気味だ。

 立て続けに3回の着信があり、その後呼び出しはぱったり止んだ。きっと考えているのだ。妻と子供がどこへ消えたのかと。いずみには、キッチンに突っ立ったまま次にかけるべき電話番号を頭からひねり出そうとしている和喜の姿が目に浮ぶ。

 そして間もなく、実家の電話が鳴った。母が立ち上がろうとするのを遮り「出ちゃだめ!」といずみは吐き捨て、呼び出し音が鳴りやむのを待つと、電話線を壁から引っこぬいた。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://kaishaseikatsu.jp/mt/mt-tb.cgi/323

コメントする

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にここのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

プロフィール

◆松永まき◆
8月28日、東京都生まれ。
某童話賞と某掌編小説賞を受賞(別名で執筆)。
オーディオドラマ『レッツ・キャラメライズ!』原作担当。
→こちらで聴くことができます。
地味めに生きてます。

カレンダ

モバイル版

QRコードで、アクセス!
ウエキリ/シタキリ QRコード