1年後の夏は、1年前よりさらに暑く、永遠に続きそうなほど長かった。それでも頃合いを見て終わっていく。一年前とは違う速度と感触で。
もう少し涼しくなったらまた公園に行こうと約束しながら、ようやく実現したのは10月に入ってからだった。
「ここ、木蔭じゃなくなったね。移動するよ、移動! 悠太、立って。みんなでお引っ越しするよ!」
いずみのかけ声で一同は立ち上がり、だらだらとビニールシートを持ちあげ、木蔭に沿うように動かした。悠太は不規則なスキップをしてはしゃいだけれど、舞い降りてきたカラスを見ると「カラスは怖いんだよ。どっか行って」といずみにしがみついた。もうすぐ4才になる悠太は、快不快をためらいなく口にする。
志保は、あっち、あっちと進むたびに行き先を変える由香と手をつないでとことこ走り、引っ越し作業を完全に無視していた。というわけで、実際にシートを動かしたのは、芽衣子といずみと、それから日向だった。
「あの人、うまい具合にさぼるんだよな」
日向は心底呆れた言いようだ。ふだん昼過ぎまで寝ている彼はわざわざ早起きをして、店を開けるまでの時間をこのピクニックに付き合った。なめらかなブリーチーズと薄っぺらいクラッカーと、業者から安く仕入れたという美味しいボルドーワインを手土産にして。子供用のアップルジュースまで持って来ていた。相変わらず気が利いていて、自分のペースを崩さない。
同じくマイペースの志保とは始終けんかしっぱなしらしい。まるできょうだいみたいだと、いずみと芽衣子は思っていた。
志保はパートタイムのアーティストになった。
1階が工場になっている会社にはまだ勤めている。一方で、"お絵描き教室"と自虐的に呼んでいたカルチャースクールの、オネエ講師の指導のもとで商業デビューを果たした。グループ展に出展した作品がある編集者の目に留まり、講師の推薦もあって、弱小出版社から出されたミステリー小説の装丁画を手がけることになったのだ。美術系学校すら出ていない無名の画家であることが、逆に新鮮味を与えたらしい。悪趣味ながらもピュアな画風が、ある種の小説の表紙にはぴったりだった。小説を書いたのも無名の新人。表紙絵とはまるで関係なく、内容そのもので小説は話題になったのだが、オネエ講師は自分の門下生から商業画家を輩出したことを、手放しで喜んだ。
「あんたみたいなのはさ、世の中生きにくいわけよ。でもアーティストっていう言い訳ができれば、この世界にも生きる隙間があるの」
それは、他に馴染めず何かを作りだすことだけが存在意義だった人の、切実な言葉だった。きっと、オネエ講師はそういう人生を歩んできたのだ。そして、できうる限りの努力をして、今の地位を得たのだろう。志保は、いつもバカみたいなことを言っているくせにちゃんと見守ってくれていたオネエ老人講師の言葉に、思わず涙を流してしまった。
「あたしはそこまで自分を追い込んでねーって。先生の言うこと、いちいち真面目にきいて描いてただけで」
「追い込んでなくてもいいものが作れるなら、それは素晴らしいことじゃない? あたしも欲しいわよ、そういうの」
志保にとって、それは二つとない花向けの言葉。オネエ講師は、実に指導者らしい指導者だったのだ。
芽衣子もいずみも、今ほどしっくり落ち着いた雰囲気の志保を見たことがなかった。かつての志保は、人の持っているものはぜんぶ素敵だと思い込み、他人をうらやましがって真似してばかりいた。今も相変わらずうらやましがってはいるけれど、真似することには興味がなくなったようだ。さらに手の届かない場所へ手を伸ばそうとしている。自分でなければできないこと。志保の関心はそこへシフトし、それと戦うことが面白くて仕方がない様子だ。
「しーちゃん、ちゃんと手伝ってよ。売れっ子になったからって調子に乗せないからね」
「売れっ子ってほどじゃないでしょ。ひとつふたつ表紙を描いたくらいじゃ」
芽衣子が軽く流すと、由香と一緒に走り回っていた志保が振り向いた。
「聞こえてるんですけど。ていうか調子乗ってねーし」
レジャーシートは心地よく日陰におさまり、引っ越し作業は完璧だ。日向は満足げに腰をおろした。
「調子乗るほど余裕ないみたいすよ、あの人。たまにうちの店で、めっちゃくちゃ愚痴言いまくっていきますからね。マジ勘弁って感じ」
で、そのあとは日向君の家に泊まっていくの?と芽衣子は意地悪な質問を思いついたが、もちろん口にはしない。この世の中にはいろいろな関係があるのだ。だいたい、他人のことをとやかく言える立場でもない。
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