「おごるって言っても上限3000円ね。だからメイ先輩はお酒飲んじゃダメ。ザルなんだもん。あ、あそこのイタリアンでもいい?ぺペロンチーノ食いてー!」
志保は勝手に店を決めてずんずん先導していった。
芽衣子としてみれば自分の食事分くらい出すつもりでいたけれど、話をきくとどうも「アブクガネが入ったからおごりたい」ようだった。
落ち着きのなさが今日はさらに増幅していて、ほとんど空元気に近い。こういう時の志保は、決まって何か話してしまいたいことを抱えている。気分が落ち込んで誰かに話しを聞いてほしい時のサインだ。
「アブクガネじゃなくてアブクゼニでしょ」
「そうなの?ま、どっちでもいいんだけど。先週末、結婚式の2次会に行ったらさ、じゃんけんゲームで2万8500円も儲けちゃったの!すごくね?」
ひとり500円玉を資金に誰かとじゃんけんをし、勝った人がそれをもらって別の勝者とじゃんけんをしていくというゲームで、志保は最後まで勝ち続け、賭けられた全員分の500円玉を手に入れたのだそうだ。
しかし志保が空元気に陥っている理由は、あぶく銭を手に入れたことではなかった。その2次会というのが、なんと説教好きな元彼、聡史のセレモニーだったのだ。
「その人って、お互いに30才になっても独身だったら結婚してほしいとかなんとか泣いてたって人だよね?」
「ついこないだまでそんなこと言ってたね。婚約した彼女もいるくせに、あたしとやろうとしたんだよ?アホかっつの。やらなくてよかった。まじ1万回死んでほしい」
「だいたいその人、なんで志保を呼べるんだろう。というか、志保もどうして行くのよ。私にはぜんぜんわからないわ」
「どうしてって、呼ばれたからに決まってんじゃん。売られたケンカ?みたいな」
志保はぺペロンチーノを食べながら、自分がどれだけ都合よく騙されたかをまくしたてた。話すうちに「騙されたのは、まだ惚れられているといい気になっていたからで、そんな自分がキモイ」とうなだれ始め、30分の間に2回泣いたせいで、整形直後の頃のようにまぶたが腫れた。隣のテーブルにいるカップルが、泣きながら話し続ける志保をちらちら見てはこっそり笑っていた。
続く30分では2次会のゲームで勝ち進む様子を事細かに再現してまぶたは元通りになり、隣のカップルはまたしてもこっそり笑う。話は面白く脚色されているから、知らない人が聞けばただの笑い話に思えるかもしれない。でも付き合いの長い芽衣子には、志保が傷ついていることがわかる。
傷ついても内にこもらず、志保は外に発散する。対処法は人それぞれだ。それでも傷ついていることには変わりない。志保が話すことで折れた心を立て直していけるのなら、いくらでも話を聞こうと芽衣子は思った。
「でね、司会者にゲーム勝者のコメントとか求められちゃってんの、あたし」
「なにかコメントしたの?」
「あたし怒ってたし、でも儲けて嬉しかったし、さらに緊張しててよくわかんなくてさ、新郎への恩は2万8500円では足りません、って言った。みんな感動してた」
志保は心なしか得意げだったので、芽衣子はあきれた。
「まったく意味がわからない。みんなが感動する意味もわからない」
「新郎だけはビビってたけど」
「それはわかる。だってどう聞いても恨みの言葉じゃない。オンは恩義のオンじゃなくて怨念のオンに聞こえたのよ」
「あ、そっか!あたし、そんな深いこと言ったのか。いいこと言った、うん」
満足そうにうなずいたのを見ると、気の利いたことを言ったと本当に思っているらしい。無邪気にコーヒーとデザートのケーキを注文している。
志保が少しでも元気になってくれたら。ふと、社員食堂での店長の言葉を思い出した。「自分ひとりで考えてばかりだと潰れる時もあるわよ」
その通りなのかもしれない。でも、自分は志保のようにはできない。今だって、もし志保がつらさを抱えたまま表に出さない人間だったら、遠くから様子をうかがうだけで近づかなかっただろう。
必要とされたら応えるけれど、積極的には近づかない。というより、近付けない。
ああそうか、と芽衣子は思った。だから店長の言葉が優しく感じたんだ。無理な販売をしないのは自信がないせいだから、自信を持てと言った。中学生の頃の先輩のように「ちょっとかわいいからっていい気になっている」とも、今まで付き合った男達のように「見た目と違って意外とつまらない」とも断じなかった。
店長のように、そして志保や一緒に働いている同僚のように、弱さも正しく見てくれる人がいるのに、いつまで私はつまらない過去をひきずっているんだろう。
もっと前を見なくちゃ、前を。
コーヒーとケーキが用意され、芽衣子がフォークを手にしたところで、それまで2次会のエピソードを再現していた志保が何気なく話を替えた。
「ところでさ、望月さんて結婚してる人?」
えっ、と小さく言い、芽衣子はフォークを持っている手を止めた。視線が一瞬だけ左右に泳いだのが自分でもわかった。この子は意外と勘が言いから、嘘をついたところですぐに見抜くだろう。それなら白状してしまった方がいい。
「......うん。まあ、そういうことよ」
やっぱりね、と志保は洋ナシのタルトを口へ運び、目を細めて芝居がかった顔をした。ドラマの中の刑事がよく、辻褄の合わない証言をする目撃者にこんな顔をする。
「こんなに長い期間、メイ先輩に彼氏がいないのはおかしいと思ってたんだよね。で、いつから付き合ってんの?どこで会ったの?あの人、いくつよ?ていうかマジで離婚してないわけ?ていうかそれって不倫じゃ......」
芽衣子は、テーブルに身を乗り出して問い詰める志保の口を思い切り手のひらでふさいだ。こんな大声で喋られたら、またしても隣のカップルに反応されてしまう。
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