志保と芽衣子が家に来た日、休日出勤だと言ってでかけた和喜は、夕方には帰宅した。
「ちょっと聞いてよ。しーちゃん、目を二重にしたのよ。今日なんかまだ腫らしたまま家に来たの」
「まぶたを縫い付けるやつだろ。最近多いらしいな」
和喜は驚きもせず、泣きだした由香を抱きあげ、ソファに座りテレビを眺め始めた。意外とあっさりしていたのでいずみは拍子抜けした。
テレビでは名前も知らないタレントがやかましく騒いでいる。この中の女の子も何人かはどこかをいじっているのかもな、といずみはぼんやり考えた。女の子達は芸人のコメントに、いちいち大げさに手を叩きながら笑い声を上げる。
ふと、内藤葉子のことを思い出した。この子達の誰かに似ているようで、どの子にも似ていない。べたべたと人に触る子だったことは覚えているけれど、何回か会ったのに、顔を思い出せそうで思い出せない。
「前に何回か家に来たナイトウちゃんていたじゃない。みんなあの子みたい」
そう言ってリモコンを取りに立ち上がると、和喜の視線とぶつかった。
目を見開いて、明らかに驚いた顔をしている。
しかし一瞬だった。すぐに和喜は視線をそらし、膝の上に抱いている由香に話しかけ始めた。ソファによじ登ってきた悠太にも、やけにちょっかいを出している。いずみはリモコンを持ったままじっと立ちすくんだ。和喜は決して視線を合わせようとしない。不自然だ。
確か前にも、和喜のこんな顔を見た。いつだった?遅く帰ってきた日。私はもう寝ていた。気配に気づき、布団から出た。そうだ、あの日。
映像がよみがえったとたん、ゴールに向かって次々と倒れていくドミノのように、いずみの頭の中で何かがつながり始めた。
遅く帰ってきた日。不自然にまくしたてる声。違和感。手で触れられた時の気持ち悪さ。誰にでも肌を寄せてくる女の子。誰にでも?そうじゃない。和喜に対してだけはよそよそしく振舞っていた。何を画策しているのだろう。気持ちが悪い。あの時、無意識に感じていた気持の悪さは、肌に触れられたからのが原因ではない。和喜と彼女の間にあった不自然さが原因だ。
和喜が隠しているのは、内藤葉子。
それでも確信が持てないまま時間が過ぎて行った。
証拠もない状態では、ただの被害妄想と否定されれば切り返すこともできない。だいたい証拠なんて見つけたくない。見つけてしまえば今は疑っているだけの夫の浮気が、事実になってしまう。もしかしたら、本当に自分の思いすごしかもしれない。
そう思って落ち着く時もあれば、絶対に自分を裏切っていると決めつけて怒りがあふれてくることもあった。しばらく経つと、勘づかれているとも知らずに浮気をしている夫と内藤葉子のことが、腹を立てる価値もないほどくだらなく思えてくる。
いずみの胸の中には、疑惑と不安と怒りと冷笑がローテーションを組んで現れた。トラックを走り続けるように、同じところばかりをぐるぐるとまわっている。短距離選手だったいずみは素早く決着のつく戦いの方が得意だったが、人生はそううまくは運ばない。
そして、トラックをもう何周走ったのかわからなくなった頃、和喜の携帯電話が目に留ったのだった。これで堂々巡りのローテーションから抜け出せる。悲しくて悔しくて、普通なら泣きだすのかもしれないけれど、どこかで気が清々していた。
「堀部と内藤は早々にうちの会社に見切りをつけて転職した、って言わなかったっけ」
「あ、そうだったね。忘れてた」
今やいずみは、完全に和喜の遊びまわっている遊園地を俯瞰で見下ろしていた。そっちに進めばあとは出口のゲートが残っているだけなのに、知らずに遊んでいる。バカみたい。さらに出口に進ませるためには、雲の上から雨でも降らせてやればいい。
「そういえば、このあいだ偶然ナイトウちゃんに会ったのよ。ずいぶん元気そうだった。きっと新しい会社でのびのび仕事してるのね」
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