勝利の呪文 3

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和喜は発泡酒の缶に口をあてて、飲む振りをしている。飲む振り。のどはちっとも動いていない。どんな言葉が返ってくるのだろう。見ものだわ。

いずみは和喜に背を向けて食器を片づけながら、こっそり片口を上げた。

 

「まじで?あいつが出没しそうな場所に、いずみが行くとは思えないな。いつの話?」

「そんなに前じゃないけど......いつだったかな。最近私、子供達を連れてけっこう出歩くのよ。新宿くらいなら余裕で行けるしね」

新宿か、と和喜はひとり言のようにつぶやき、立ちあがって何かを探し始めた。

「また家に遊びに来てね、って言ったら、思いっきり断られちゃった。ところで何を探してるの?」

「テレビのリモコン」

「そこにあるじゃない」

リモコンはテーブルの上にある。さっき和喜が発泡酒の缶を置いた、すぐ横だ。気づかないとは、よほど動揺しているらしい。和喜は、ああとかうんとか、曖昧な返事をしながらもといた椅子に戻ってきた。

「でね、また来てねって誘ったら断られちゃったのよ。その理由がね、すごいの。あの子、かなり変わってるね。どこまでが本気なのかわからない。彼女が断った理由、聞きたい?」

 

いずみは薄い平皿を持ったままくるりと後を向き、和喜の横顔をじっと見た。和喜がでたらめにリモコンのボタンを押すせいで、次々とチャンネルが変わる。とぎれとぎれのCMナレーションや笑い声が、むなしく部屋を満たしていく。和喜が必死に平静を装おうとしているのが手に取るようにわかり、いずみはまたしても笑い出したくなった。

 

「聞きたくないみたいだけど、教えてあげる。"わたしぃ、及川さんといろいろしてるからぁ、奥さんと子供のいる場所へ行きたくないんですよぉ"だって。ね、変わってる」

いずみが食器棚へ向き直ると、和喜がとりつくろうように明るい声をあげた。

「ああ、それはただの冗談だろ。冗談。あいつ変わってるからな。うん」

なにが冗談だ。こんな嘘にみすみすひっかかる時点で、浮気を認めたようなものだ。

思わずいずみの手に力が入り、持っていた平皿が2枚に割れた。意外と簡単に割れるものなんだな、と自分の破壊力に驚きながら振り返ると、和喜は驚くというよりも怯えた顔をして口を開け、割れた皿を見つめている。バカみたいな顔。

いずみはとうとう本格的に笑い出してしまった。

 

「冗談なんて、冗談じゃないわよ。隠し通せると信じ込んでるところが、私にとっちゃ冗談みたいよ。めちゃくちゃ笑える」

「なんの話だよ」

「は?浮気の話だけど」

「なにくだらないこと言ってんだ」

「もうばれちゃったんだから、あきらめて白状すればいいのに」

「白状することなんて、ない」

 

この期に及んでまだ言い張るの。

いずみの怒りは一瞬のうちにコントロールできなり、感情のままに両手で持っていた皿を床に叩きつけた。

皿は、思いがけず大きな音を立てて砕け散った。

 

「なにやってんだよ。夜中にそんな音を立てたら、また下の人に文句言われるだろ」

それを聞いて、いずみの呼吸は浅くなった。

「文句言われるのはあんたじゃなくて私じゃない......下の人はいつも、あんたがいない時間に来て文句言うのよ。こんな狭くて壁も床も薄い賃貸マンションにいつまで住めっての?仕事仕事と言ってるくせに、お金も貯まらないしぜんぜん引っ越せないじゃない。私だって仕事したいわよ。でも保育園に空きがないの。私にどうしろっていうの?恵美ちゃんのところなんて、お受験して来年から幼稚園に通わせるのよ。うちには無理よね?あんたが無駄に使ってるホテル代が悠太と由香を潰してるの。たいした稼ぎもないくせに浮気なんて百年早いわよ!」

 

自分でも何を言っているのかわからなくなってきて息を継ぐと、和喜の尖った視線に気付いてはっと我に返った。怒りを押し殺すように黙りこんで座っている。

今まで喧嘩をしたことはあっても、お互いにここまで感情をあらわにしたことはなかった。ここまで進む前に回避できたのだ。

だから次に和喜がどういう行動に出るのか、いずみには予測がつかなかった。

まさか殴るような人じゃないと思いながらも、体は無意識に反応し、逃げられるように身構えていた。

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プロフィール

◆松永まき◆
8月28日、東京都生まれ。
某童話賞と某掌編小説賞を受賞(別名で執筆)。
オーディオドラマ『レッツ・キャラメライズ!』原作担当。
→こちらで聴くことができます。
地味めに生きてます。

カレンダ

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