池部良さん 鮮烈な記憶

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池部良さんが逝ってしまった。

大正7年生まれ、私の亡父よりも1歳上だ。略歴を見ても大学卒業後すぐに召集を受け中国に出征している。

私の鮮烈な記憶は1970年(当時の池部さんは52歳)入社の私が会社に入ってすぐに東映東京撮影所(大泉)でコマーシャルの撮影をしていた時の話です。当時のコマーシャルは60秒制作があったせいかスタジオ撮影はほとんど徹夜態勢。

撮影するカット数が多かったのだと思います。

深夜に何かの用事でスタジオを出て暗い撮影所内の通路を曲がった瞬間に、着物を着た人と危うくぶつかりそうになり、あわてて『スミマセン』と言ってお互い顔を見合わせたらそれが池部良さんでした。

いや当時高倉健さん主演の『昭和残侠伝』シリーズに出ていた風間重吉だった。

逆光の中に紺の盲縞の着流し、長ドスこそ持っていなかったが目の周りは落ち込み、まさに殴りこみシーン寸前の厳しいメイクの池部良さんだった。

私は一瞬立ちすくみ、余りの迫力に後ずさった。

そして池部さんはニッコリ笑って立ち去っていった。

 

資料によれば1970年の制作は『昭和残侠伝 死んで貰います』 

昭和残侠伝シリーズの最高傑作と言われている。

 

☆殴り込みをかける風間(池部良)に対して

花田秀次郎(高倉健)『重さん、この喧嘩のケリは俺につけさせてやっておくんなさい。堅気のオメエさんを行かせる訳にはいかねえ』

風間『秀次郎さん あれから15年 見てやっておくんなさい』(と ドスに目を移す)

   『ご恩返しの花道なんですよ』

花田『ご一緒ねがいます』

雪の降る野道を番傘をさした風間と花田の道行きシーン。

親に貰った大事な肌を 墨で汚して白刃の下で 積もり重ねた不幸のかずを

何と詫びようかお袋に 背中で泣いてる唐獅子牡丹~♪

 

う~ん、大好きなんですよ、この時代のヤクザ映画。

今でもDVDを借りてたまに観ます、チンプ化しているところは有りますが『やってやろうじゃねーか』とか言う時の高倉健さんの上目使いの表情なんか見るとたまりません。

私の一番好きな俳優さんです。

高倉健さんの脇をしっかりと固めてくれた池部良さん、お疲れ様でした。

あなたのお陰で昭和残侠伝は名シリーズになりました。

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