一昨日に続き、自宅近くの公務員住宅ネタ。
TVで被災地情報も観たくなくなり、午後のWalkingで気になっていた財務省職員宿舎の前を通った。
私の携帯カメラでは入りきれない、見事な14階建て高層マンションが2棟。400世帯くらいか。
津田沼駅から徒歩5分。総工費確か65億円、土地代抜き。
ここに4~6万円の家賃で彼ら財務省の役人たちは入居する。
たまたま起こった東北関東大震災、完成した公務員宿舎の入居時期と重なった。罪悪感無しにここに入居して来る公務員が居るのかと思っていたらもうすでに入居は始まっていた。
まだ全体の1割もいってないが明日になれば、また増えているのだろう。
子供たちの春休み、自分自身の転属、異動も含めて3月中の引っ越しをせざるを得ない事情は理解する。
しかし今は未曽有の事態、千年に一度の大災害が国民を襲い、死ぬか生きるか、絶望と悲しみの淵で東北地方の国民が生きていると言うのに、国家公務員である君達にこんな厚遇をしていていいのか、と思わざるを得ない。国民の血税で(言い方古いですか?)君達の生活は賄っているが、こんな厚遇を黙って看過する訳にはいかない。
しかし法的には彼らに何ら瑕疵は無く、彼らの甘い生活は保証されているんだ。
今日も既に入居済みのような若いカップルが幸せそうな空気をまきちらしながら、僕とすれ違って行った。
いや、自分達はこんな厚遇は受け取る訳にはいかない、と発言があってしかるべきと思っていたら、しっかりとアート引越センターのトラックが来ていた。多分この費用も財務省持ち。
何かおかしくないか!
関係者以外立ち入り禁止(通り抜け可)という指示の下、敷地内に入りましたが太陽光発電設備を備えたこの財務省職員宿舎はフクシマで原発事故が起きてもかなりの電力を太陽光発電で得られるようです。
この敷地内に入って不思議な感覚に陥る、普通のこれだけのレベルのデカイマンションならその存在を示すNaminingがある、しかしここには一切その表示が無い。企業の職員住宅なのか民間開発の部分所有のマンションなのか分からない。
自分自身に何の衒いも無く、その権利は有るのだというのなら大きな看板を掲げるべきだ。
『財務省職員の為の住宅』と。
以前の官舎時代はは大蔵省職員住宅と書かれた掲示板が有り、ID化されていたのですから。
今は何故自身の存在を表示されないのか、野田財務大臣に聞いてみたい。
官僚の特権意識と傲岸さは、日本が歴史上かつて一度も人民による民主革命を体験していない、ということが大きく関係しているのでは?明治維新でも第二次大戦後でも、その都度為政者は代わったけれども、人民が自らの手で勝ち取ったものではありません。
時の為政者は官僚組織を解体するのではなく、それを温存し利用してきました。逆に言えば、利用されてきたことでもあるのです。
風通しは良くなりはしましたが、官僚のマインドは極端に言えば江戸時代から受け継いでいます。その土壌は大陸プレートの様に強大です。貧困層の出身でも、その上に乗ればたちまちに染まってしまいます。
これを打破するには、利用される前に徹底的に官僚をこき使う、ってことしかないのかも知れません。
穴六さま
コメント有難うございます。
不安な日が続きます。
引越しの費用は「国家公務員等の旅費に関する法律」によって決められた金額(赴任旅費)が支給されます。アート引越センターのような高い業者に頼むと、通常は足が出るのが実情です。支給される旅費の範囲で済ませようとすると、安い業者を探し、曜日を選び、梱包や開梱は自分たちでやるコースにしなくてはなりません。アートのお任せラクラクコースで頼んで領収書を役所に出せば全額が払ってもらえる、というわけではありませんので誤解なきよう。
お役人さま
私の書いた記事の中でアート引越しセンターに関する部分に間違いがあると訂正の要求でしょうか。
貴方のコメントの大半から公務員への悪意を感じます。
自分はもちろん財務省の役人ではありませんが、第三者として傍から見ても不愉快です。
「今日も既に入居済みのような若いカップルが幸せそうな空気をまきちらしながら、僕とすれ違って行った。」
←新婚早々かもしれない公務員が、幸せな気持ちになることも許されないのでしょうか?
彼らが民間で働く人と、同じ人間として何が違うのでしょうか?
職業の違いで、感情まで否定されてしまうのでしょうか?
知人の若い公務員が収入に見合った住居を探したところ、生活保護世帯の多く入るアパートなどにしか住めないと言われたそうです。
特に若い世代の公務員の手取りは、そんなものということです。
貴方は本当に公務員の実態を把握しているのですか?
全ての公務員が一部の官僚のような暮らしをしているような発言は、勘違いにもほどがあります。
以上、身内が公務員の通りすがりの独り言です。
JIZO殿の批判は公務員というより、そのシステムに向けられているのだと思います。決して公務員個人個人の人格にまで及んでいるわけではありません。
しかしながら、そのシステムを具現しているのは、ひとりひとりの公務員です。だれそれという個人ではなく、普通名詞としての「公務員」が批判されているわけです。
私個人も、すでに皆亡くなりましたが、長兄は今話題の東京電力、次兄は都税事務所、姉の連れ合いも都経済局職員でした。その関係で学生時代は都庁や杉並区役所でアルバイトをしました。
都庁のある部署に勤めたとき、朝出勤すると女性職員がお茶と新聞を持ってきました。何か仕事は?といっても、まあ、声がかかるまで新聞でも読んで待っていてください、とのこと。昼になって食事に行こうとすると、2時ごろまで帰ってくればいいですよ、といいます。
昼食を終えて言われたように2時ごろ戻って、何かやることは?というと、あ、ではその新聞穴あけて綴じてください・・・こんなことが1週間続いて私はいたたまれなくなって止めました。
ようするに、予算消化のためのアルバイトだったわけですね。そして、これに対して何の疑問も感じない、感じても異論を唱えない「公務員」に対して許せない気持ちを抱きました。
その反動で私はヤクザな職業を選びましたが、常に自分のやっている仕事が幾らの価値があるのか、ということが頭にありました。会社に行っているだけで給料が入るというのは自分が許せない。労働者は体や時間を売ってるのではなく、仕事の能力を売っているんだから。
つーことで、私は今でも市役所の窓口などで、人を待たせながら奥のほうでブラブラしている職員を見かけると、大声を上げて怒鳴ったりします。
何しろ、1日がかりで伝票5~6枚しか書かない職員をいやというほど知ってますから。